どもども。
今日からキングスの練習施設が再開されたはずなんですけど、まだそういう情報が入ってきてませんね。
まだなんでしょうか?
またわかり次第お伝えしますね。
さて、今日はハムさん記事のご紹介です。
キングスがサクラメントに移転して35周年になりますが、ドラフトの歴史を振り返るという、自虐的な企画をハムさんが書いてます。
ハムさん、Mですなー。
Since the Kings moved to Sacramento 35 years ago, they've had some notable NBA draft busts.
— Kings on NBCS (@NBCSKings) 2020年5月11日
@James_HamNBCS outlines ten of the biggest ones https://t.co/RE9b10gOwC pic.twitter.com/xFTpbQNEGT
以下、要約です。
サクラメントでの過去35シーズンの間の、ひどいドラフト、ワースト10です。
◎Joe Kleine、Pick No.6、1985 NBA Draft
このときはビッグマンの指名が流行った時期。全体1位はニックスのユーイング。
キングスもご多聞にもれず、センターのクレインを6位指名。彼は15シーズンをプレーしましたが、キャリアのほとんどがサブで終わりました。ちなみに、彼の後に指名された7.8.9位は、クリス・マリン、デトレフ・シュレンプ、チャールズ・オークリーですよ。そして最大のミスは13位のカール・マローンを指名しなかったことです。
クレインはそんなにひどかったのか?
ドラフトは7巡目指名まで162人もの選手が指名されましたが、クレインのキャリア価値はドラフトクラスの中で最下位です。
この頃からキングスのスカウトは見る目なし。
◎ケニースミス 1987年ドラフト6位
この年は地元サクラメント出身のケビンジョンソンが指名できたのにパス。6位で同じPGのケニースミスを指名しました。
ノースカロライナ大出身のケニー・スミスは確かな経歴を持っていて、1990年のNBAスラムダンクコンテストでドミニク・ウィルキンスに次いで2位になりました。その2日後にアントワン・カーとセドリック・トニーとトレードでアトランタ・ホークスに。その後、ロケッツで優勝に貢献。
一方、ケビンジョンソンはクリーブランドキャバリアーズから7位指名を受け、その後、フェニックスでの12シーズン過ごし、オールスターにも3回選ばれました。その年は、11位でレジーミラーもペイサーズに指名され、殿堂入りする選手に成長しました。
要は、ケニースミスを育てられなかったんですね。とほほ…。
◎Pervis Ellison、Pick No.1、1989 NBA Draft
これはキングス史上一番アホなドラフトかもしれませんね。
NBAドラフトで全体1位を獲得したにもかかわらず、失敗しましたからね。
キングスは何も見ないで、パービスエリソンを指名。
ワークアウトもコンバインもなしですよ。
商品を見極めないで買い物するようなもんですよ。全体1位なのに、もっと慎重にリサーチしろよ。
エリソンは、キングスで出場したのはわずか34試合。翌年の夏に、ブレッツにトレード。
ドラフト1位を翌年にトレードだと?
アホでしょ。
彼は3年目のシーズンに、平均20ポイントと11リバウンドを記録し、そこそこ結果は出しました。
確かにその年のドラフトは不作でしたよ。でも3位のショーンエリオットやグレンライス、14位のティムハーダウェイなどいい選手はいました。24位にはディバッツもいましたし。
◎Quincy Douby、Pick No.19、2006 NBAドラフト
地元の言い伝えによると、ダミアンリラードはサクラメントのワークアウトに来て、1本しかシュートを外さなかったようです。
同様のことが2006年に起こったのは、ラトガースの得点王であるクインシードゥービーが来た時でした。彼もワークアウトで素晴らしかったんでしょうね。
でも、見極めが甘かった。
このドラフト以降、キングスは13年連続で、プレーオフを逃しています。 Doubyは練習では良いものの、ゲームでは消えるだけでした。
彼は143試合の短いキャリアでFG成功率は38.9%。その後、ドゥービーは、中国リーグなど国際的にプレーすることになります。 19位の下位指名とは言え、キングスはもっとうまくやれたかもしれません。ロンドは21位で、カイルローリーも24位だったし。
相変わらずフロントは見る目なし。
◎Tyreke Evans、Pick No. 4、2009 NBAドラフト
エヴァンスはNBAでのルーキーシーズンに、20.1ポイント、5.5アシスト、5.3リバウンドを記録し、新人王を獲得。
エバンスのキャリアは、トータルとしては悪くありませんが、薬物使用のために現在2年間のリーグへの参加を禁止されており、再びNBAでプレーすることはできません。
彼より3番目の順位が下のステフカリーは、2回のMVPと3回のNBAチャンピオンを獲得。もちろんカリーがサクラメントで同じ成功を収めたかどうかを知る方法はありませんが、彼は殿堂入りしました。
ほんと、こうやって振り返るだけで、頭が痛くなりますね。
全く何やってんだと。
でも今もそんなに変わってないかも。
暗黒のドラフト歴史はまだまだ続きがあります。
続きはまた明日。